信綱寺へ行くのに、お寺近くの駐車場ではなく、
緑地広場の下からのルートで巡ります。
桜の木々。花の時期ならとってもいいルート。
アジサイもいいようですよ。
黒門。
信綱寺の総門で、文政6年にそれまでの門を他の寺に移築して新しく建てたもの。
当時のお金で18両かかっていると書いてあったけど、今だといくらなの?
門の右手を少し下ると、
馬頭観音。
中央の岩をよく見ると、馬の顔が見えますよね。
歴史の丘と呼ばれる場所。
芸術作品のようでかっこいいっ。
ここの説明書きがあったけど、個人的には理解不能でした。
でも、とってもいい感じ。
善星皆来、悪星退散と両脇に書いてある、信綱寺に到着。
大柏山「信綱寺」は横尾氏の菩提寺として、
好雪斉大柏寺として室町時代に創建されたそうです。
信綱が、大柏山「打越寺」と改称。
そして真田昌幸は兄の信綱の牌所として打越寺を改築し、
大柏山「信綱寺」と兄の名前の寺に変えたのでした。
信綱の墓は少し登った場所にあるのでもう少し上へ。
信綱夫人、信綱、昌輝の墓
信綱は「武田二十四将」の一人として活躍しました。
長男である信綱と次男の昌輝がともに戦死してしまい、
幸隆の三男で甲斐の名門・武藤家に養子に出されていた武藤喜兵衛こと真田昌幸が戻り、
真田家の家督を継いています。
・真田幸隆(ゆきたか)は、武田信玄の家来となり真田氏発展の基礎をつくります。
・真田昌幸は幸隆の三男。上田城を築き、徳川軍を2度撃退。
・真田幸村(信繁)は昌幸の次男。大坂の陣で活躍、「日本一の兵(つわもの)」と称される。
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