荒砥城(千曲市城山史跡公園)に行きました。
戸倉に用事があり、ちょこっと寄ってみました。
戸倉へは生まれた頃から何度も何度も行っているのですが、
自分の意思でこの城跡へ行ったことが無く(行ってはいるようですが)、
ずっと気になっていたのです。
2007年の風林火山のNHK大河ドラマのロケでも使われていたりも。
ここ荒砥城(あらとじょう)は約400年前に、
この地域を治めていた村上氏一族の「山田氏」によって築城され、
郭(くるわ)が連なるように並んででいるので「連郭式(れんかくしき)山城」と呼ばれたりも。
戦国時代のこの時期、
この荒砥城から千曲川をはさんだ対岸にある、
葛尾(かつらお)城城主の村上義清(むらかみよしきよ)は、
「上田原の戦い」「戸石城の戦い」で武田信玄を破り、
領地を守っていました。
しかし、武田軍の圧倒的な軍勢の前に葛尾城は落城、
荒砥城の山田氏も滅亡してしまいます。
その後の川中島の戦いを経て、
上杉氏が治める城となります。
しかし、
その頃の海津城副将だった屋代秀正(やしろひでまさ)は上杉氏に背いて荒砥城に篭ります。
裏で徳川家康が「更級郡を安堵するよ」と屋代秀正と密約していたのですよね。
1584年、上杉軍に攻められた荒砥城は落城し、城としての役割は終了します。
その後北信濃一帯は上杉景勝の領地となっていますが、
屋代秀正は徳川の重臣として行動しています。
二の郭(かく)に入る門。
二の郭を突破されたら、後は城主のいる本郭(ほんかく)のみとなる。、
兵舎と櫓(やぐら)。
兵舎の中には色々な説明などもありましたよ。
奥に見えている1段高い場所が本郭。
櫓は下にロープが張ってあり、
登ることが出来ませんでした、残念。
さらに上の本郭を目指します。
本郭全体。
最後の砦となる重要な場所となる。
中央が城主の入る館です。
ここからの景色はよく、
展望台もありました。
歴史に興味が無くても、
景色を見に行くだけでも、いい場所ですよっ。
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