権堂、善光寺界隈を町歩き

映画を観に、長野の町中の権堂にある長野ロキシーへ行きました。

久しぶりに日中に町中へ行ったので、
ついでに町歩きをしてみたよ。


地図で善光寺の右(東)側のあたりを散策。


表の道から1本裏に入った通り。
なんでもこの辺の古い建物を使って、
「カフェなどのお店が数件出来ている」との髪処禅のお客様から聞きまして、
そのリサーチが今回の町歩きの主。
ほとんど休みでしたけど、お店は分かりましたよ。


古い橋を発見。
坂を上ると、城山小学校
せっかくだから、上まで行ってみましょう。


坂の上には展望スペースも。
小雨が降ったり止んだりの天気で、遠くの展望はいまひとつ。

別の下り坂より降りて歩いてると、

西宮神社に到着。


およべっさんの銭洗い。
「商売繁盛にここで銭を洗って商売に活用したり、
御守りに身に付けて励むと、ご利益があるかもしれません」と。


何だかよく分からないけど、
いい雰囲気の裏路地も通りましたよ。


虎が塚。
「曽我兄弟の仇討ち」で有名な兄弟の兄にあたる十郎祐成の愛妾が虎御前。
虎は兄弟の菩提を弔うため善光寺の南東に庵を結び、
庵の近くに大石を据えて祈ったりしていまして、
この石が虎ケ塚と呼ばれるものです、
よね?。
より詳しくは→こちらをどうぞ


権堂に戻り、秋葉神社。
ヨーカードーの横にある長野市民なら見てはいる場所。
ちなみに権堂の名前の由来は、
商店街にある往生院という寺に由来しています。
鎌倉時代に焼失した善光寺が源頼朝によって再建される際に、
本尊の阿弥陀(あみだ)如来像が一時的にこの寺に移されたのです。
その仮堂という意味で一帯を「権堂」(ごんどう)と言ったので、
このあたりの地名を権堂と呼ぶようになったらしいですよ。

秋葉神社の裏には、

包丁、料理の神様である四條霊社があります。
包丁、料理の神様は京都と長野の2社のみで、
貴重な場所ですね。

その横には、
「赤城の山も今宵かぎり」で有名な国定忠治のお墓も。
博打で稼ぐヤクザ者ですが、弱気を助け、悪をこらしめる。
なぜか家に酒井祖父が、
赤木山へ行って拾ってきて石があったりも。
ギャンブル全くしないんですけどね。

そんな祖父関係の繋がりで言うと、
秋葉神社の周りには修繕のときに寄付をした人?
の名前の石碑があるのですが、

続柄だと曽祖父母にあたる酒井家の2人の名前があったりも。
自分が高校のときに亡くなっている祖母は美容師をしていまして、
石碑のさつさんも美容師(というのかこの時代)だったとか。

短時間ではありましたが、
あまり歩かない裏通り歩いてみたら、
知らないことが多かったですね。

自分の街を歩くのも楽しいなぁ。


コメント